Amerigo Vespucci
アメリカを名付けた男
近づきつつあるヨーロッパ植民者達の足音 16世紀前半の北アメリカは、大部分がまだ平和な日々を過ごしていた。
しかし、ヨーロッパ植民者達の足音は、すぐそこまで近づきつつあった。 1492年にコロンブス率いる3隻の船団がフロリダ半島の東南海上バハマ諸島に到達してから大西洋を越えてアジアに至るまで航路を
多くのヨーロッパ人が探検し始めた。 コロンブス自身は4回の航海を通じてカリブ海の島や中央の各地、それに南米の北の部分を探検したにすぎなかったが、彼がこうして探検を繰り返している間にも彼の1回目の航海に衝撃を受けたヨーロッパ各国から探検隊が送り出される様になった。
中でも英国のジョン・カボット(1450〜1499)は1497年という早い時期に北米のニューファンドランド島に到達している。
そういった探検者の一人にイタリアのフィレンツェ生まれのアメリゴ・ヴェスプッチは、3回に渡って遠く南米の海岸をブラジル南部まで航海し、1502年には手記の中で『世界の第4の部分に到達した.』と記している。
翌年1503年にはフィレンツェで『新世界』というラテン語のパンフレットを発行した。
ちなみにコロンブスが最後の第4回目の航海を終えスペインに戻った時期が1504年の事であるので、アメリゴがいかに早かったかが判る。 『アメリカ』という名称は、このアメリゴヴェスプッチがこのパンフレットの中で自分の目撃した土地が『新大陸』であると主張した事に端を発している。
アメリゴの本は1507年に『新世界史入門』に収録されその編者ヴァルトゼミューラーはアメリゴの業績を称えて『新大陸』を『アメリカ』と呼ぶことを提案したのであった。
本来ならばコロンブスの名前が相応しかったが、その名前はコロンビア大陸であり、やがて北米に作られる国の名前もユナイテッドスティツ オブコロンビアとなった事だろうけれど、現在国名としては、僅かに南米北部の一角にその名残を留めている。 アメリゴ・ヴェスブッチはフィレンツェで生まれ育ち、銀行実務家になり1491年からセビリアに住み、銀行家から転身して新世界貿易を扱う仕事に転職しスペイン王に仕えた。
1497年から1504年の間に中南米東岸に『4回の航路』の記録を残した。この本は1503年フィレンツェの独裁者ロレンツォ・メディチ宛の書簡の形をとってラテン語で発行され、中に『新世界』という表現が使われている。 その後続いて各国語に訳され詳しいイタリア語訳が出版されたり写本も多く創られた。
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