

![]() ジャック・カルティエ Jacques Cartier (1491-1557) ![]() ガスバール・ド・コロニー Gaspard de Coligny (1519-1572) ![]() エルナンド・デ・ソト Hernando de Soto (1499-1542) ![]() フェリペ2世 FelipeU | スペインとポルトガルが植民地帝国を建設してから既に100年以上もの間、フランスと英国とは新大陸に植民地を持つ事が無かった。しかし植民地建設の努力は、幾度も行われてきていた。 16世紀のごく初期からブルターニュ、ノルマンディー、バスク、そしてフランスの漁師はニューファンドランドやラブラドール沖の豊かな漁場、グランドバンクスで漁をしていた。 豊かな水揚げと陸上の資源が豊富だという噂に勇気つけられ更に遠洋迄足をのばす。 1534年フランスのサンマロ(フランス北西部)出身の航海者ジャック・カルティエは、セントローレンス川を遡ってスタダコナ(カナダ・ケベック州)で越冬しモントリオール州(カナダ)に到着した。 彼は1541年にもこの地を探検し黄金とダイヤモンドが豊かにあるといわれていた『サグネー王国』を探している。 しかし黄金は硫化鉄鋼、ダイヤモンドは水晶だった事が判り、この探検は失敗に終わった。 同じ頃探検家ロベルバルはケベック州の北方12マイル地点に初のフランス植民地を創った。 インドへの前哨基地の設置と黄金の発見とが主な目的だった点はカルティエと同じであるが、結局はカナダというかケベックの厳冬に負け事業放棄せざるをえなかった。 その結果フランスの植民活動は気候温暖な地方へ向けられる事となった。 1555年宗教戦争がヨーロッパを引き裂いて行った頃新教徒のド・ビルアニョンがブラジル海岸沖の小島にフランス領を創り1562年にはジャン・リーボーがフロリダの一角に到着し1564年には同じく新教徒のロードニエールがここにカロリーヌ砦を建設した。 しかしかねてからフロリダ領土権を主張していたスペインが黙っておらず、サント・アグスティン砦の建設を急ぎフランスに対抗した。 サントアウグスティン砦の建設は当時のスペイン国王フェリペ2世の意思に基づいていた。 フロリダは財宝を積んだスペイン船がメキシコやキューバから本国帰還の途上にあるーだからこの地方のフランス植民地はスペイン領土権を無視して創られ植民地建設者自身がカトリックに反抗的な新教徒ときている。 フェリペ2世の教皇政策の背後には、このような事情があった。 1555年フランスのプロテスタント指 導者で 海軍提督だったガスパール・ド・コリニーは探検家を派遣して現在のリオ・デ・ジャネイロ付近の島々に殖民を試みた 翌年1556年、300人の増援部隊が派遣されて合流した。 しかしこの植民地は繁栄せず1560年相手の弱さをみてとったポルトガルが襲撃して全住民を首吊り処刑してしまった。 フランスはフロリダ北部のカロリーヌ砦とサバナ川近くのシャルル砦にユグノー植民地をそれぞれ1562年と1564年に建設する。 しかしこの地域は1539年-1542年にスペイン人の大探検家エルナンド・デ・ソトが調査しておりスペインはよそ者、とりわけプロテスタントの侵入者に目を光らせていた。1565年カロリーヌ砦を大部隊で襲撃し植民地全住民を皆殺しにする。 翌1566年スペインはシャルル砦も同様に襲撃しサンアウグステチン(現フロリダ州セントオーガスティン)とサンタカナリア島に自国の要塞を建設した。 スペインの強硬政策を察知したフランス植民者達はサント・アグスチン砦が完成する前にこれを叩こうとした。 だが遠征隊はハリケーンで暗礁に乗り上げ生き残り300名はことごとくスペイン人に殺害され最後にはカロリーヌ砦も跡形も無く破壊されてしまった。 そして6年後1572年フランスのカトリック過激派が起こしたサンパルテルミーの虐殺でガスパドール・コロニーも殺される。フランス植民地の没落の物語でありそれから 20年の間フランスは積極的に新大陸へは乗り出していない。 国民の主な関心は、国家を二分し40年近くに渡った宗教内乱ユグノー戦争に向けられていたのであった。 その後かつてジャック・カルティエが探検した北米に移住民を送る任務を受けたラ・ロッシュ候が第二回遠征隊を派遣し、その一体がノバ・スコシア(カナダ)に上陸し1599年50名をカナダへ入植させる条件で毛皮取引の独占がアンリ4世からピエールジョーバンに与えられた。 更に1603年には同じアンリ4世の命を受けてデュ・ポン・グラベとド・シャンプレーンが遠征隊を派遣した。 彼等の手で翌年1604年ノバ・スコシアに建設されたロワイヤル港が新大陸で初めて成功したフランス植民地だった。 1608年ド・シャンプレーンがケベックの建設に成功した。 この様にフランス人が新大陸に植民の成功をもたらすまでに1世紀以上の年月と幾多の犠牲とを必要としていたのであった。 |