拳銃歴史資料館Part2
History of guns<Part2>
〜フリントロック式〜連発式銃へ


フリントロック式連発ピストル

フリントロック式ピストルの点火構造ホイールロック式もフリントロック式も火花によって火皿の点火薬に点火するのは同じであるがホイールロック式は、黄鉄鉱とギア(歯輪)で、フリントロックは火打石(フリントロック)と鋼鉄の組み合わせが違うだけで火打石の方が原理や操作が楽だった。
しかしこのフリント・ロック式は17世紀になるまで実用化に至らなかった。理由として、使用されている火打石(燧石)はイングランド・スコットランドだけで良質のものが発見されているからという見方が多い。
フリントロックには構造上スナップハンスとミュケレットロックに大別されている。スナップハンスは、バネが側板の中に内臓されていて火皿の上野火蓋は、独立しており火蓋を手で開いてから発射する。
これに対してミュケレットロックは、バネが側板の外側にあり、鋼板の下側が火蓋の役目をしており火打石をはさんだハンマーが前方に倒れて鋼面に当たるとそのはずみであて金が上がり火花は火皿に落ちるようになっている。この当時から連発銃に関する各種の試みが行われ、数本の銃身を並べたもの、又は、弾倉を束ねたものもつくられている。
1620年、イギリスからの清教徒(ピリグリムファーザーズ)が北米に移住するようになり、フリントロック式の銃器はアメリカ大陸に渡り開拓者の中の銃工によりアメリカでもフリントロック式ピストルが作られているが日本だけは当時の徳川幕府の鎖国政策により天文12年(1543年)以来の火縄銃の時代が幕末までつづくため日本はホイールロックとフリントロックの時代はなかった。フリントロックはマッチロックやホイールロックより優れていたが点火が不安定な事と黒色火薬は湿気を呼びやすい事から弾丸と火薬を銃に装着したまま長い時間おいておくと火皿のある点火が湿気を呼び発射できなくなるなどであった。

1819年式アメリカ軍式フリントロックピストル

雷粉式(ピル・ロック)と管撃ち式

1800年頃、スコットランドのアバデシャーにあるベルフルヴュという町に住んでいたプレスビテリアン派の牧師、アレキサンダー・ジョン・フォーサイスは、塩素酸カリを使った起爆性の金属化合物・雷酸塩をつくりあげ、これを起爆剤として、銃の新しい点火方法を完成。1807年4月に特許をとった。彼が発見したものは、雷酸塩の粉末であり、いままでの点火法では、開いておかなければいけない火門や点火孔をふさいでも衝撃によって点火させることができた。ビル・ロック(雷粉式)19世紀 衝撃によって容易に発火する雷粉末を点火剤に使った方式でイギリス人フォーサースによって開発された。
新しい原理は、連鎖的に新しいアイデアを生み、1808年になるとスイスの銃工がパリで雷酸塩を詰めた紙の電管をつくりだし、更に1812年になると新しい起爆粉を粒状にして使用するビル・ロック(雷粒式)が発明され、続いて銅のキャップに雷粉をつめた雷管が発明された。これが、パーカッション・ロック(管撃ち式)で薬室の上に突き出た火門にキャップを被せ、こ撃鉄で叩いて発火させた。この雷管を使ったピストルで有名なのは、アメリカのデリンジャー。
こういった先込め式の小型単発ピストルは、フィラディルフィアの銃工、ヘンリー・デリンジャーが1840年につくったピストルである。
1865年4月14日第16代大統領エイブラハム・リンカーンがフォード劇場で観劇中、俳優のジョン・ウィルクス・ブースによって使用され、大統領の頭部に命中させて暗殺してからデリンジャー・ピストルは、銃工の名前から凶器の名称に一転してしまった。
雷粉=(衝撃で爆発する火薬)

 

←リンカーン大統領暗殺に使われたデリンジャー

連発拳銃の誕生と発展
この雷管の発明の中で有名なのがペッパボックスで形がコショウ入れに似ている事から名前だが中心の軸に5本から7本の銃身を束ねて銃身を手で回し連発発射が出来た。ペッパーボックスピストル。名前の通りコショウのビンと同じ形態をしている。
しかし、まもなく弾倉だけが回転して銃身が1本でよいリボルバーが出現すると重すぎて命中率の悪いペッパーボックスは廃れ1835年に、アメリカ人サミュエル・コルトが試作したシングルアクション・リボルバーが特許を取ると彼の時代がやってくる。
コルトのリボルバーの弾倉は、手で回す必要が無く撃鉄を上げると自動的に引き金が飛び出し弾倉も回転して激発位置に停止した。しかも彼は自分の工場の作業を規格化し常に同じ製品を作り部品だけでも売り出した。

 

これは、買う方にとっては、とても便利なもので1丁ずつ手作りの時代にあっては画期的な事であった。しかし、ピストルは優秀であったが、会社の業績は上がらず、工場を閉鎖しなければならなくなった。
以上の様に雷管の発明で画期的な飛躍をとげたパーカッション・ピストルであるが、当時のピストルは、ほとんどが先込め式であり、銃身、または、弾倉の前方から火薬と弾丸を込めその上に後方の火門に雷管を被せなければ発射できなかった。
また発射したあと改めて弾丸をつめるには、時間がかかりすぎた。こうして次世代の『金属薬莢拳銃』時代が到来する。

コルト・パターソンモデル(草創期のリボルバー式拳銃)

   
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