金属薬莢(メタルカートリッジ)第1号は、1836年にフランス人E・ルフォーショットが創りだしたピンファイヤー(ピン打ち式)薬莢が最初と考えられている。この薬莢は、パリの銃工パウリが1813年につくった薬莢を改造したもので銅製の管体に火薬と雷管を詰めそこの部分に蟹の目のようなピンが突き出している。そのため、幕末から明治初期、日本に輸入された時は、『蟹目打ち』と呼ばれている。ルフォーショットのピンファイヤー・リボルバーは、弾倉の後方から装着すると弾倉には、ピンが突き出る切込みがあり、ここからピンが外に出て撃鉄によってピンが強打されると内部にある雷管が激発し、さらに火薬が点火するが、この時発生したガスにより、銅製の薬莢が膨張して薬室いっぱいになるのでガス漏れも防ぐ利点があった。
これが更に改良されてリムファイヤー(縁り打ち式)となったのが1847年でパリの銃工フロベールの発明による。 薬莢は銅製で莢底の周囲に雷汞(らいこう)が流し込まれて固まっているので 莢底の縁のどこを撃っても撃発する。アメリカ人ホーレス・スミスとダニエル・ウェッソンが共同して作った銃器会社『スミス&ウェッソン社(通称S&W)』は、この特許を買い取った。
そしてボルカニック・ピストルという連発式ピストルという連発式ピストルとリボルb−を発表した。ボルカニックピストルは1854年に彼らが特許を得たもので銃身の↓にチューブ型弾倉を持ち、引き金前のレバーを操作して一発ずつ薬室におくりこむレピーターだったが機構が複雑で、しかも高価だった為、当時は、評判倒れにおわっていた。 しかし、これがのちに有名なウィンチェスター連発中に発達してみごと甦った。 一方、S&Wのリムファイヤーリボルバーは、1855年にローリン・ホワイトの特許をS&Wが買い取った。そして史上初めてリムファイヤー・リボルバーS&Wモデル1を1857年に発表し、続いてモデル2、モデル3の22と32各口径のピストルを発表した。ちょうどこの頃、南北戦争が始まり、銃器の需要は高まっていたが、南北両軍のピストルは、パーカッション・リボルバーが主力でS&W社のリム・ファイヤー・リボルバーは、あまり使われていない。理由はS&Wリボルバーは、機能は優秀だが高価で、しかも22口径クラスでは、戦争用としては、威力が足りなかった為である。 |