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大衆ヒーローのアウトロー

アメリカ西部開拓期史上最も有名なアウトローと云えば誰だろうか。
多分、お年よりから子供までに知られている
ビリー・ザ・キッドか、ジェシー・ジェームズでは、ないだろうか。
ここでは、後者のジェシー・ジェームズを紹介する。

ジェシー・ジェームズは、1847年ミズーリ州に生まれた。
4歳上の兄に
フランク・ジェームズがいた。
父親は牧師で資産を持ち教養も豊かだった。
1850年に当時のゴールドラッシュに飛びつく形でカリフォルニアに移住するも父親は間もなく亡くなった。

後の西部史上屈指のアウトロー兄弟も少年時代はごく普通の子供だったという。
南北戦争が始まると兄のフランクは、南部側に召集され、ゲリラ部隊に編入された。
ジェシーもすぐにこのゲリラ部隊に志願し加わった。
この時のゲリラ部隊での経験や交友関係が後々、貴重な財産となる。
戦時中のジェームズ兄弟の記録は、現在調査中なので見つかり次第アップしていく予定です。(汗)

ジェームズ兄弟を有名にしたのは、なんと云っても「
列車強盗」である。
1866年からジェームズ兄弟は、当時からも悪名高かった、ヤンガー兄弟と共に銀行強盗、列車強盗を犯す様になった。
以下は、西部開拓史上ジェームズ兄弟による犯行とされる事件である。


 

ジェシーの銀行強盗の記録

1866年2月14日ミズーリ州クレイ郡リバティ白昼、同町の銀行が襲撃される。被害額は、60万〜70万ドル。
銀行員は殺されなかったが、銀行の前を通りかかった若者がとばっちりで殺された。
犯人は10人程で、南北戦争後初めての銀行強盗であった。
ジェシー・ジェームズが加わった最初の事件だったと云われている。
1866年10月未明ケンタッキー州レキシントンここでも白昼銀行強盗。
犯人は二人組の男で2千ドルが強奪された。
ほぼ確実にジェームズ兄弟の犯行とされている。
1867年3月未明ミズーリ州クレイ郡サバンナここでの銀行強盗は、どうやら失敗だったらしい。
現金は1ドルも盗めなかった。
1867年5月未明バージニア州リッチモンド銀行強盗。4千ドルが強奪される。
町長を含む8人が殺された。
これら一連の事件により捜索隊が結成される。ジェームズ兄弟の捜索が始まった。
1868年3月未明ケンタッキー州ラッセルビル同様に白昼銀行が襲撃され1万4千ドルが強奪されたこの時の人数は6人。
死者はでなかった。
すぐに追手が結成されたが逃亡されてしまった。
1871年6月未明アイオワ州不明6人の仲間と共にジェシーは銀行強盗をはたらく。
4万ドルを強奪。その後広場で開かれていた政治集会に行き、「銀行強盗があったよ」と告げて逃亡した。
1876年9月ミネソタ州ノースフィールド4人でファーストナショナル銀行を襲撃。
しかし、行員に金庫を開けろと強要しても拒否され、もめている間に外で町の住民に気づかれ見張り番は、住民に殺されてしまう。2人が死亡。
一人は重傷。
ジェシー1人が無事だった。

ヒーロー・ジェシー

★大列車強盗
1873年7月。ジェシー達7人はアイオワ州シカゴ・ロックアイランド太平洋鉄道の列車を脱線させ現金輸送車の金庫から現金2千ドルを強奪した。
レールを緩め、綱を引いてレールを外せる様にしていた。
本来の狙いは金塊の輸送車を狙っていたが、この列車の前に通過していた。
この時、脱線により機関士一人が死亡。
乗客は金品を強奪されただけで犠牲者はでなかった。
ホワキーン・ムーレイタの駅馬車強盗とは違ってスマートだった。
これがアメリカで最初の列車強盗とされている。

列車強盗

1874年1月ミズーリ州 ギャッズヒル駅ジェシー達5人は駅員を脅してアイアン・マウンテン鉄道の列車を無理やり停車させて乗客や輸送車の金庫から現金を強奪した。この時の金額は不明
1874年3月未明上の事件により追手が組織されてこの時代の有名な探偵社ピンカートン探偵事務所が捜査に乗り出し、彼等の執拗な追跡の結果、ジェシーの強盗一団の一人ジョン・ヤンガーが殺害された。
1876年7月ミズーリ州ミズーリ州オタービルのミズーリ太平洋鉄道の列車を襲撃。
1879年10月シカゴ州オルトン鉄道襲撃。強奪金額不明
1881年9月シカゴ州またもオルトン鉄道を襲撃。これがジェシーによる最後の列車強盗事件。

この時代は、鉄道は次々と開通されていたが、農民達からは、不信の目で見られて来た鉄道建設は莫大な資金を必要としてそのかなりの部分を地方自治体から援助しなければならずそれは地元の農民達への負担となっていた。
また鉄道建設は広大な土地を鉄道会社が取得する事も意味し土地を奪われ追立てられる農民が続出した。
その為西部の農民達は鉄道に反感を抱き、これを襲撃する無法者にひそかな共感を抱いたという。丁度日本の「ねずみ小僧」のアメリカ版だろうか。

大衆伝説の中のヒーロー ジェシー・ジェームズ

虚像が実像かは、判らないがジェシー・ジェームズには、様々な伝説がある。
彼は、元南軍の兵隊や未亡人には優しく、無益な殺人はしなかたと云われている。

ある時、ジェームズ兄弟達は、北ミズーリを馬で歩いていたところ、昼頃になって空腹になり農家に立ち寄り食べ物を要求した。
農家の老婦人は躊躇していたが、金を支払うと云うことで料理をしてくれた。
しかし、婦人は料理をしながらも泣いていた。
ジェシーは何故泣いているのか尋ねてみた。
彼女が言うには、この農場とももうすぐお別れだと云うことだった。
それは、彼女は夫に先立たれていて数人の息子を家と農地を担保に1400ドルで学校に通わせた。
しかし返す当ても無く、もうすぐ借金取りがやって来て家も土地も奪われてしまうという事だった。
ジェシーは、袋から1400ドルを取り出して強引に手渡した。
老婦人が驚いて、こんなに借りても返すことは出来ないと拒否したが、ジェシーは、「これは、贈り物だ」と言ったと云う。
別れを告げて家を出ると仲間達と共に道端に隠れた。
やがて老婦人の家に借金取りが入り、1400ドルの現金入りの袋を持って出てくると、すかさず拳銃をつきつけて強奪したという。

ジェシーの晩年
追跡から逃れたジェイムズ兄弟は、幸せな結婚生活を送っていたという。
もちろん、名前は偽名で、子供もつくった。
その一方で相変わらず列車強盗もやっていた。
1881年9月のシカゴの2度目のオルトン鉄道襲撃が最後の列車強盗となった。
1882年4月3日。
追跡される中で隠れていたミズーリ州セント・ジョセフの自宅で若い仲間のロバート・フォードによって背後から撃たれ殺された。1万ドルの懸賞が目的だったようである。享年35歳

兄のフランクは、ジェシーの復讐をするどころか、半年後に州知事のところへ出頭した。
そして裁判となり無罪放免され平凡な生活を送った。
このフランクの突然の変心は、永遠の謎となっている。


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とp


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