1519年から3年かかりでメキシコのアステカ帝国を滅ぼし更に1532年にはペルーのインカ帝国を征服したスペイン人達はその後メキシコの北に横たわる未知の土地に対しても探検隊を送り始めた。
当時30歳だった若き指揮官フランシスコ・バスケス・デ・コロナドもその一人で彼は1540年、大部隊を率いてメキシコを出発、彼等がニュースペインと総称していた新しい征服地の北側を探るべく出航した。
当時この時までに征服されたアステカ王国やインカ帝国などから財宝は海を渡ってスペイン本国に流れてきたが、やはり黄金を求めての航海の旅であった。 土地も財産もないスペインの大衆が新大陸に夢を抱いたのは彼らがイギリス人やオランダ人の様に商業年を作るより、その富を一気に捜し求める冒険に憧れていたという。
この当時日本に布教に訪れたフランシスコ・ザビエルと同じ様に彼もまた、異教徒に対する布教の為の修道士を何人も連れ探検の冒険をしていた。 コロナドには、具体的な夢があった。
それは七つの不思議な魔法の都シボラを発見しようとした事である。 イベリア半島(スペイン)がかつて回教徒に攻められた時七人のポルトガル人司教が逃れて大西洋を渡り七つの都を建設したといわれている中世の伝説を信じていた。
その時から20年余り前スペインの他の探検家ポンス・デ・レオンの一行もまた、不老不死の泉がそこにあると信じてフロリダ半島を二度も探検したほどであった。
ヨーロッパ人は中世1000年の間に沢山の伝説を自分達をとりまく外の世界に対して作っておりそれを新大陸にも当てはめ様としていたのだった。 当時の絵の中には様々な怪物や巨人、小人、妖怪等がヨーロッパ人の頭の中で出来あがっていた。
実際コロンブスも西インド諸島に到達した時には部下に命じ怪物捜索に乗り出したといわれている。
だから赤い肌のインディオを見た時スペイン人達は相当困惑したといわれている。 彼等インディオは一体何者でどうやって扱っていいものかスペイン人には対処できなかった。
結局征服者はインディオに強制労働を押し付けるようになりインディオの中には自殺する者もいた。 しかし一方でインディオも対等の人間と考える修道士やインディオ女と結婚するスペイン人達も少なくなかった。
その後北米に上陸するイギリス人達がインディアンを追い払いながら生活する事とは違い中南米のニュースペインでは良くも悪くも二つの世界の人間が入り混じって生活する様になった。
コロナドも自分の探検隊の中に1000人ものインディアンを道案内や荷役の為に加えていた。 その後魔法の都シボラを発見できなかったコロナドはどんどん北へ向かい伝説の都と程遠いニューメキシコ州とアリゾナの中間の近辺のインディアン部族のズニ族の集落に辿り着いた。
この結果にコロナドは落胆したがここに駐屯しながらも部下のロペス・デ・カルネダス率いる部隊に西方を探検させた。 そのカルネダスはホピ族達が住む地域を通りぬけた後、そこから先は人も馬も進めないような大地の亀裂に遭遇した。
あたかも悪魔の爪痕、又は神の創りたもうた造形物が姿を現した。 その地こそがコロラド川が大地に刻んだグランド・キャニオンだった。 グランド・キャニオンは、ロッキー山脈に源を持つコロラド川の一億年にも及ぶ浸食作用によって 創り出された大峡谷である。
この大峡谷は絶えず拡張され変化し続けてきた。 削られた一番下の地層は現在見る事の出来る地球最古のモノであり地質学的重要性も高い。 コレほどまでに激しく侵食された場所は他になく、世界の七不思議とも言われている。
国立公園に指定されているのは、峡谷の全長350qの内170q。 コロラド川を挟んでサウス・リム(展望地点)とノース・リムがあり、谷の深さは前者で約1372m、後者で約1732mと、とにかく深い。
峡谷の壁面に照りつける太陽光線が変化するにつれ色が変わり、その景観は筆舌に尽くす。 まさに神秘的な絶景である。
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